2007.03.15 Thursday
岡本太郎を知る人がだんだん少なくなっていく。岡本太郎は日本が生みだした、空前絶後の天才の一人である。その自由奔放さ、アイデアの大胆さ、自分を賭け、投げ出し、爆発させるそのパワー、威力はいまだに比類する人がいない。「瞬間を生きる。いまだけなのよ」 という敏子夫人の言葉には、飾らない潔さが人間には一番大切なんだ、ということをいつも思いださせてくれる。「私は岡本太郎によって育てられた。こんなにのびのびと平気で、ありのままでいられるのは、彼が『いいんだよ、それが敏子なんだ』と認め、けしかけてくれたからなの」こんな素晴らしい珠玉の言葉が溢れている。一生を全速力で突き抜けてきた岡本太郎の傍には、こんな人がいたのだ。
編集長 尾中謙文
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2007.03.14 Wednesday
コンテクストとコンテンツって違うもんだったの?という疑問や、そういえばゲノムやユビキタスってなんだったけ?という疑問に、丁寧なわかりやすい日本語で答えてくれる。「丈夫なあたまと賢いからだ」を養うための、害の無い無添加知識と智慧の栄養素豊富な生きた学習書ともいえる。こんな父子いるのかな?と思えるような様々な知識・知性の想像的応酬が披露される。ラジオやテレビで見る父・健一の一見無謀な哲学的ツッコミを、自由自在・絶妙な受けで、世の中の複雑怪奇な仕組みを、いとも簡単にわかりやすい言葉で科学的・発展的に解説してしまう息子・真一の全方位的で高度・知性のジャングルは、一度入ったらなかなか抜けられない多様的・想像的面白さに満ち溢れている。底辺には心がどういうものか、地球や大自然に対する畏敬、敬意が流れており、発見も多い。読むだけで元気になる一冊だ。
編集長 尾中謙文
Text by onaka
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2007.03.13 Tuesday
本書は、戦後の闇市に突如あらわれ、新橋、銀座、渋谷、荻窪、自由が丘、学芸大学前に上海文化を持ち込み、「東京租界の帝王」と呼ばれ、フィクサーとして巨大な資財を築いた男、王長徳の話である。千人超の女性が集まったという銀座「マンダリン・クラブ」、新橋駅前「国際マーケット」で王が一緒に商売をした夏目漱石の長男、東急グループの創設者・五島慶太に売った東急文化会館の土地など、読むほどに、戦後の知らなかった裏地図の地政学的な意味と風景の画素数が上がる。著者のルポルタージュは時間をかけ丁寧で、王本人への真摯なインタビューをもとにした内容に、瑕疵は見当たらない。日本裏側の史実としても面白く、忘れさられた戦後直後の生々しい情景を鮮やかに浮き彫りにしている。
編集長 尾中謙文
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2007.03.12 Monday
組織には少数の天邪鬼が必要だ。多様性とバランスが無くなると、集団の判断が前より悪くなる「集団極性化」が起きるからだ。これは未だにはっきりとは解明されていない。なぜ極性化が起きるのか。ふつう人は集団の中で、自分の相対的な立場を維持しようとする。周囲の人といつも比較しながら生きている。集団に合わせる習性を持つため、自分が意見を少し右にずらしただけで、集団が同じように少し右に動くことを知らない。企業が有事の時、社員がフリーズして動けなくなるのもこの現象だ。個々の知識や情報を集約して、集合的に活かさねばならない時、残念ながら、解決するための暗黙値は特定の個人やグループに帰属している。暗黙値は時々すごい問題解決能力を持っているが、活かすためには、有事の際、組織全体が動かなくなることを予見して、少数の天邪鬼が動ける仕組みを創っておかなければならない。最近、企業事故が頻発している。リスクマネジメント(事故を起こさない経営)ばかりしてクライシスマネジメント(事故が起きてからの対処)に鈍感すぎる組織を放置したせいだ。企業崩壊の危機を内在化している数を想像するだけで凍る思いがする。
編集長 尾中謙文
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2007.03.09 Friday
日本古来の季節を読み取る「節供」の意味を知らない日本人が増えた。 代表的な五節供は一月七日の人日(七草)、三月三日の上巳(雛祭)、五月五日の端午(男子)、七月七日の七夕(星祭)、九月九日(菊)などである。なぜ節供があるのか。昔の日本にはそもそも休みが無かった。そこで節供の日に身体を休め、旬の食材でお節料理(木火土金水)という地球の五大ミネラルを身体の内側に食し、外側からは衣替えをし、薫風や金風を通すという、健康を保つための深い意味があった。日本人が四季に敏感繊細で、いかに勤勉な民族だったかがよくわかる。本書はシンプルライフを送っている人々の事例をあげながら、旧暦に過ごすことの大切さを伝えている。月の力、太陽の恵みなど、日本人が1400年にわたって培っていながら、とうに忘れている暮らしの知恵を、あらためて振り返る時期に来ているのかもしれない。
編集長 尾中謙文
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2007.03.08 Thursday
立花氏の「ぼくはこんな本を読んできた」「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本」の続編と思って読んだら中身は違っていた。知的好奇心をそそられる内容は前作以上に濃密で、スピード感に溢れ、遥かにパワーアップしている。そもそも知識や知性に興味が無い人には無縁の本だろう。「渋滞学」で臨海密度、相転移、メタ安定状態、自己駆動粒子などに触れた後、「テレポーテーション・瞬間移動の夢」で量子テレポーテーションを語り、次が「西国立志論」「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」という具合に、ついていくには覚悟がいる。とはいえ世界中の本の中から、珍品の数々に出会える様は、たとえ本を知らなくても、パリのクリニャンクールの蚤の市に来たような、わくわくした気持ちになる。巷に溢れる本また本、その中でもこれは、と思うような本に出会えると、本当に生きててよかったと思うのは僕だけではないだろう。
編集長 尾中謙文
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2007.03.07 Wednesday
特異点という言葉をご存じだろうか。本書では人間・機械文明がたどる運命をそう呼んでいる。2045年に人類は生物の限界を超え、特異点に到達するというのだ。「スピリチュアル・マシーン」でカーツワイルは機械と人間の境界が曖昧になる時点をこえると、生活にどういうことが起きるのかを克明に著わした。80年代には「インテリジェント・マシンの時代」で90年代から2000年の正確な予測をしていた。アーサー・C・クラークが「十分に進んだテクノロジーは魔法と区別がつかない」というように、ハリー・ポッターの魔法は数十年先にはテクノロジー次第で現実のものになる。人間の脳や身体をリバースエンジニアリングすることで、自然淘汰により進化したシステムより遥かに耐久性があり、何百万倍も早く作動するシステムができると著者は言っている。本書は単なるSFではない。それが証拠にビル・ゲイツはカーツワイルを「人口知能の未来を予言しうる最高の人物」と言っている。
編集長 尾中謙文
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2007.03.06 Tuesday
本書で語る梅原氏の柳田国男説はとりわけ面白い。日本で個人が神になるには、「1、官位が高いか、一芸に秀でているか、卓越した能力をもつ人。2、死罪か流罪になり、死後に怨霊の形で死ぬという二つの条件を満たすこと」この条件を満たしているのは、聖徳太子、柿本人麻呂、菅原道真の三人しかいない。日本では、超一級の文化人は怨霊として崇められるからだ。しかし、千利休だけは自己の美意識を守るため、志願して怨霊になったという。結果、自らを神と名乗った信長や秀吉はあっという間に滅び、自害した利休の子孫・三千家は今も栄えている。これは日本人の暗黙の美意識の一端でもある。「私は人類の将来及び日本の将来に深い憂慮を感じる。人類は現在のような文明を続けていれば、何百年か先には滅びるにちがいない。そして今の日本人の有様を見ると、それよりずっと前に亡国の運命にあうだろう」梅原氏の言葉の一つひとつに、畏怖を忘れた日本人の霊性を目覚めさせる深い愛情を感じる。
編集長 尾中謙文
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2007.03.05 Monday
日本人はいつから無宗教、無思想、無哲学になってしまったのだろうか。本当のところ、自分が無思想かどうか、客観的に確かめることすら難しい人が多いのではないか。養老氏は思想がゼロの状態でも、日本人にとっては一つの思想のあり方だという。「世間の役割が大きくなるほど、思想の役割は小さく、頭の中で世間が大きい人ほど現実的であり、思想が大きい人ほど思想的なのである」つまり夢見る夢子さんは、現実的経済的社会に生きることは難しいが、世間で害にはならない。日本には思想の無いカツドウカや右左のない国粋主義者がたくさんいる。結局のところ、現実社会を生きて行くのに、日本はこ難しい思想や信仰や哲学を必要としない。人生で何度か、すごく困って自分自身を深く意識した時だけ、信仰は宗教となり、行為は哲学に変わるが、その本質は変わらない。日本人の思想と無思想は境目が無く、意識と無意識は混在している。解剖学者が思想を語ったらおかしいだろうか。養老氏は解剖学的な哲学者なのだ。
編集長 尾中謙文
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2007.03.02 Friday
ジル・ドゥルーズは、僕の考え方や行動原理に影響を与えた哲学者の一人だ。本書をあまり紹介したくはない(皆、勧めてほしくなかったと言う)我々の意識は、無意識の内に図式化され、画一化されている。ドゥルーズは「差異と反復」といった概念から生まれる、多様性の意識や思考が、閉塞感を開放すると考えた。一種の多元論的複雑系哲学だ。ドゥルーズが4歳の時に世界恐慌が起き、15歳の時、パリが陥落しナチスに占領された。サルトルの「存在と無」やベルクソンの「創造的進化」に影響を受けた。ガタリとの共著「千のプラトー」のリゾーム論では、樹木から発想を得た。全体とすべての諸要素が異質なのに接続できるという考え方だ。つまり一方ではモデルにもとずき、常に同じものをコピーし続ける反面、もう一方ではモデルとは関係なく、多数の入口を持ち、変化可能で、常に開かれている存在(これはSF映画マトリクスそのものだ!)ドゥルーズはいったい何者なのか。本書を読み抜くには、少々骨が折れるのは言うまでもない。
編集長 尾中謙文
Text by onaka
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